【マイペースな子ども時代】


6人兄弟、年の離れた末っ子で

ワガママ、自己中心的

カッとなるとすぐに怒鳴り

手が出る父


母はその父にやたらと気を遣い

我慢し続ける

面倒見が良いでは片付けられない

犠牲心の持ち主でした


私はそんな夫婦の間に

やっと授かった子供として誕生しました


父も母も高齢で私を授かり

さらにひとりっ子ですから

とっても可愛がられた事と思います


その上、初孫でしたので

母方の祖父母からも

とても大切にしてもらいました


オモチャもたくさん買ってもらい

好きなものは親のぶんまで

沢山食べられる


競争心のない

超マイペースな子どもでした


看護師だった母は

仕事もバリバリするタイプで

職場からの信頼は厚く


私からみてもすごい人で

自慢の母でした


そんな母は

忙しいせいもあり


私に習い事など

いろいろやらせたい割に

あまり深くは関わって来ず

それでも束縛は強いほうでした


母娘で出かけても

『お父さん帰ってくるから早く帰ろう』が口ぐせで

幼いながらに

私よりお父さんが大事なのかな?と

嫌な気持ちでした


物質的にはとても満たされ

なんとなく心は満たされない

子ども時代でした


それでも両親のことは

大好きでした(^^)



【キャラ変更の学生時代】


マイペースな保育園児から

小学生になった私は


東京の片隅ど田舎

全学年、1クラスしかない小学校で

保育園からずっと顔見知りの同級生と

のびのびと過ごしていました


そんな穏やかな子ども時代は

母の強い希望でお受験をして

私立の中学校に入学したことで

一変します


今まで見知った顔の中でぬくぬくと

過ごしてきたマイペースな私は


急な人間関係や

環境の変化には

ついて行けませんでした


さらに望まぬ受験勉強で

超のつく勉強嫌いを発動


私の隠キャ人見知り人生を

構築した中学高校生活


記憶がないほど

ひっそりと過ごしました 



【大学~就職、家族に降りかかる困難とは…】


勉強嫌いでひどい成績でしたが

母の背中を追うように

医療系の大学になんとか合格


家族と離れて一人暮らしを始めました


新天地で自由を謳歌し

少し明るくなった私は

仲の良い友達もでき

楽しく過ごします


4年の大学生活も終わり

就職したタイミングで


すでに定年していた父が

老後を楽しむべく

伊豆に単身移住しました


母は自分が定年したら

父と一緒に住む計画で


私と母2人の生活が始まりました


自己中心的で我の強い父親に

長年気を遣って疲弊していた母は

別居になったことで

肩の荷がおりたようでした


そんな風にできた

初めての母娘2人時間を

楽しく過ごしていましたが


ほどなくして

母に癌が見つかります

社会人2年目ごろのお話です

【困難に立ち向かえば、打ち勝てる?】


手術を受け癌は切除したものの

状況は厳しく


2週間に一度の

抗がん剤治療のため


片道2時間の距離を

築地まで運転して

一緒に通いました


母は持ち前の我慢強さで

ギリギリまで弱音は吐かず

心の支えである

仕事も続けていました


検査をするたびに

祈るような気持ちで

結果を聞きましたが


良くなることはなく

転移転移の繰り返しでした


『母は死なない』なんて

無謀にも信じていた私でしたが


そんなツラい闘病生活も

2年ほどで幕を閉じます


私が26歳のとき

母は天に召されました


お母さんはやっと楽になれたかな

なんて思ったことを覚えています



【いよいよひとりぼっち!心の支えは…】


父は実家に戻ることを

全力で拒否

(別にいいんです)


ひとりぼっちに

なった私は


部署移動も重なり

荒んだ気持ちで


ひたすら実家と職場を往復し

日々を過ごしていきます


そんな中

荒んだ気持ちが

だんだんと

明るくなったのは


職場でできた

友達のおかげでした


毎日遊びにくりだし

コレでもかというほど

一緒に過ごしました


この友達との時間が

心の支えでした


そのおかげもあり

だいぶ元気になった私は


一年ほど経ったある日

急に今のままではダメだ

何も変わらない

自分が変わらないと

と思うようになりました


そして田舎すぎる実家を

親戚家族にあけ渡すことにし

一人暮らしを決意します



【結婚!妊娠!幸せになれるかな…と思いきや】


そのタイミングで主人と出会い

一人暮らしを3年ほどしたのち

一緒に暮らし始め

結婚への準備が始まります


順調に

伊豆の父へあいさつを済ませ

親同士の顔合わせを計画


ところが場所を決めてすぐ


父から癌が見つかったと

連絡がきました


父の希望もあり

顔合わせは中止となりました


私は時折1人で伊豆まで運転し

父の受診に付き添ったり

お見舞いに行ったりしながら


結婚式の準備は進めていました


結婚式には

父も招待しましたが

体調不良で欠席


両親がいない結婚式で

両親に宛てた手紙を読みました


そこから一年ほどで長女を妊娠

やっと自分にも家族ができる


ようやく父に孫の顔を見せられると

思いましたが


孫の顔を見ぬまま

父は帰らぬ人となりました


お腹の中にいた長女のおかげで

悲しむ時間は短くて済みました



【守るべき命と自分と困難…こんなはずでは】


そして念願の長女出産

守るべき命との対面


可愛さと幸せな気持ちで

いっぱいでしたが


退院してさっそく

困難が立ちはだかります


長女の"体重増加不良"

母乳不足でミルクとの

混合栄養でしたが


母乳育児に強い憧れがあった私は

完母を諦めきれませんでした


長女の体重を増やさなければいけない

でも、ミルクを敵のように感じ

母乳の出ない自分を責め続けました


今思えば、ホルモンの影響も

多々あったと思います


さらに追い討ちをかけるのが

いざと言う時に頼れる存在が

いなかったこと


実はひとりっ子夫婦で

親戚は極端に少なく

主人の実家は本州の端っこ

じぃじばぁばも遠い存在


結婚のために引っ越した先は

今までの地域とは離れて

周りに友達がいませんでした


初めての育児に不安な日々

心配ごとがあっても

できることはスマホで検索

相談できるのは主人だけ


その主人にLINEをしても

『そんなことでLINEしてこないで』

『自分でどうにかして』と

全く寄り添ってはくれませんでした


あまりの不安に

押し潰されそうになりながら

頼れる先を探して


通っている母乳育児相談室へ

泣いて駆け込んだこともありました



どんどん深まる孤独感


このままではいけないと

勇気を出して行った

子育て支援センターは


常連のママ達が和気あいあいと

楽しそうにしています


元来の人見知りを発揮し

さらに孤独感を深めた私は


一度行ったきりで

ママ友作りをリタイヤしました



【ベビーマッサージとの遭遇】


どうにかこうにか心を保ちながら

2人きりで過ごしていくと


長女の成長とともに

少し外出する余裕が出てきました


赤ちゃんとできることを検索し

ついにベビーマッサージと出会います


通うと決めたベビーマッサージ教室は

マンツーマンでの開催でした

長女とのふれあいは楽しく

確かにベビーマッサージは

赤ちゃんに良いことな気がしました!


だけど先生とマンツーマンでの

やり取りで満足感は得られず

なんだかピンとこないまま

3回受けてフェードアウトしました


そこでベビーマッサージとの関係は

一度終わります


【理想の母とは?】


離乳食が始まり

授乳も減り

子育ても試行錯誤して


だんだん長女が育っていくと

少しずつまぁいいかと

思える部分も出てきました


その反面長女には

あーしなさいこーしなさいと

ガミガミ言う母に

なってきていました


なんだか自分が思っていた

母親像とは

かけ離れていく気がしていました


【2人目と裏切りと孤独感】


ひとりっ子の私は

長女にはきょうだいを

作ってあげたい


ひとりぼっちになって

悲しい思いを

しなくて済むように

何かあったら

助け合えるようにと


2人目を希望します

そこで長女溺愛の主人に

その考えを伝え

協力をあおぎます


2人目の妊活に協力してくれたはずの

主人でしたが


めでたく2人目の妊娠が

わかった頃から

雲行きが怪しくなっていきます


突然、

『2人目は面倒見ないから!』

『そう言う契約(謎)で協力した』と

言い出しました


私には何がなんだかわからぬまま

不安な気持ちで出産を迎えます


そして、その言葉通り

産まれてきた長男に対し

必要最低限の関わりしか

しませんでした


長女の面倒はよく見るかわりに

長男の一切の面倒は見ず


少しお願いしようものなら

『契約と違う』と文句を言ってきました


おかげで赤ちゃん育児中に

頼れる存在がさらに減りました


追い討ちをかけるように

産後すぐコロナ禍に突入


家から出られない毎日


産後楽しみにしてた

イベントは全て無くなり

ベビーマッサージも

もちろんできませんでした



またしても何も出来なかった私は

在宅ワークで近くに主人がいるのに

孤独感のすごい育休を過ごしました



今思えば怖いのが…


精神的に綱渡り状態だったせいか

ビックリするほど長男育児の印象が薄く

記憶があいまいなことです


念願の2人目だったのに

主人に気を遣い…自分を押し殺し

どうやって過ごしてきたか

想い出がボンヤリしていること


とっっっても後悔ポイントです!


【家族計画に急展開、強くなる母】


さて、ここまで

長男を可愛くない!愛せない!と

言い張っていた主人ですが


だんだん成長とともに

意思疎通がとれるようになってくると


あんなに否定していた日々が

まるでなかったかのように


突然、長男を溺愛しはじめます



その様子を薄目で見ていた私ですが


助けあえるきょうだいは

多い方がいい

3人目が欲しいという

考えを持ち続けていました


その考えを強く後押しするのが

両親の死でした


"人生は一度きり"

今の私の人生はこれでおしまい

次なんてないんです


主人のパーソナリティに押し負けて

諦めたら後悔すると思いました



そこで長男を可愛がりはじめた主人が

『もう1人くらいいてもいい』と

言ったのを聞き逃さず

3人目を直談判


案の定、文句を言われつつ

協力を得られることになりました


この辺りから私は

だいぶ強くなりはじめました


万が一また

『面倒見ないから』と言われても

最後の出産、赤ちゃん育てを

やりきってやろう!と思いました



ところが

3人目の性別は女の子とわかった頃から

主人は目に見えて

楽しみにしている様子でした


そして無事出産を迎えます


産んだあと、主人の衝撃の一言が

『初めて新生児を可愛いと思った』でした



【孫みたい!?余裕の?3人目】


だいぶ強くなった私にとって

予測のつく3人目育児は

ツラいと感じる事も減り


ただただ可愛く

本当にずっと見ていられる存在でした


長女のときには

いっぱいいっぱいで余裕がなく


刺々しい気持ちのまま

無我夢中で過ごしてしまった

赤ちゃん期


長男のときは

突然の外出自粛


赤ちゃん期は有限だ

今回は少しアクティブに過ごそう

何かやろう!と思っても


申し込んでいたお教室や

イベント達は軒並み中止


突然現れたウィルスに怯え

ほぼ家から出ず

家族以外の人との交流も乏しいまま


またまた過ぎ去ってしまった

赤ちゃん期



これが私にとって本当に最後になる

末っ子ちゃんの貴重な赤ちゃん期は


ぜったい有意義に過ごそう!

やりたいことはなんでもやってみよう!と

心に決めていました



【ベビーマッサージを今度こそ!衝撃の瞬間】


そんなやりたい事の中の一つが

ベビーマッサージでした


大人になってからの私の人生で

落ち込んだり悩んだりするとき

視点を変えて引っ張りあげてくれたり

励ましてくれる大切な友達


その友達も3人の子どもをもち

1人目から通っている

ベビーマッサージ教室を

私にに紹介してくれていました


その教室には

ベビーマッサージ以外の講座で

行ったことがあり

先生とも何度か会っていました


どうせなら雰囲気もわかっている方がいい

行くならここにしよう!と即連絡

家から片道1時間ほどかけて


長女以来、約5年ぶりとなる

ベビーマッサージ教室へ

3ヶ月の末っ子ちゃんを連れて

参加しました



先生に促されて

末っ子ちゃんの顔の前に両手を広げ

『おててちょうだい』と声をかけた時


なんと末っ子ちゃんは

両方のおててを

私の手のひらに合わせてきました


3ヶ月なんて言葉の通じない赤ちゃん

だと思っていた私は

『えっ!!こんなに話を理解してるの!?』と

雷に打たれたような衝撃を受けます


上2人を育て

赤ちゃん期は3度目


自分なりに

赤ちゃんのことを

わかっているつもりでいましたが

全然違っていました!


先生の話を聞く中で


ただお世話をするだけではなく

赤ちゃんへ声をかけることの大切さ


赤ちゃんはひとりの人であること

ひとりの人として尊重し許可を得ること


子育てにも通じる大切な教えを受け

目から鱗の連続で

価値観が変わるくらいの

出来事でした


この時点で

ベビーマッサージすごい!と

魅力にハマり始めています


さらに

初めてのベビーマッサージを

たっぷり楽しんだ次の日


寝返り練習中だった

末っ子ちゃんは

寝返りに成功します


赤ちゃんがベビーマッサージで

"自分の身体を知る"という事を

目撃した瞬間でした


【ベビーマッサージを伝えたい】


このベビーマッサージとの出会いから

末っ子ちゃんとの関わりが

急に豊かなものに変わります


抱っこをするとき

オムツをかえるとき


声をかければ反応が返ってくる

それを受けとれるようになり


赤ちゃんと2人きりでも

孤独を感じることはなくなりました


不安があっても

検索した情報に右往左往するだけではなく

目の前のわが子をしっかり観察して

ある程度は大丈夫か判断しながら

どっしり構えられる余裕も出てきました


そしてベビーマッサージに通う

同じ年齢の子を持つママとの交流は

あーわかる!あるある!と

ただ話をするだけなのに

びっくりするほど息抜きになりました



長女の時からこんな風に

赤ちゃんと関わり

ママ達とたまにお話しして

過ごしていられたら

あんなに辛くなかったんじゃないかと

思うようになります


あの時の私と同じように

辛い思いをしているママがいたら

少しでも手助けできないか


こんな世界もあると知ったら

少しは楽になるんじゃないか


そしてそこから

ママ達が孤独感なく

赤ちゃんと豊かな日々を過ごせるように

お手伝いがしたい


自分もベビーマッサージ教室を開いて

少しでも多くのママの心を

軽やかにしたい


貴重な赤ちゃん期を

心から楽しんでもらいたいと

想うようになります



育休中であること

その後の働き方も考え

悩みましたが…


ここでもやっぱり

私の"人生は一度きり"という

考えが後押しになり


通っているベビーマッサージ教室で

資格を取ることに決めました


そこからは末っ子ちゃんを連れ

対面講座に何度も通います


身近にモデルがいる事もあり

学び合う仲間もいて

楽しく学びとても有意義な時間でした


ただ少し頑張りすぎていたのか

スムーズに行っていたはずの

夢への道に暗雲が立ちこめます


あと少しで卒業検定試験

その予定を立て始めたころ


我慢できないほどの

激烈な腹痛に襲われます


次の日が最後の講座だったので

這うようにして行きましたが

結局、救急車で搬送されました


原因はストレス性の胃潰瘍でした

何度か通院しての

服薬治療で済みましたが


卒業検定試験には参加できず

私だけ落ちこぼれました


その後は先生のご好意により

休養をとって計画を練りなおし


同期から遅れること2ヶ月で

やっとベビーマッサージと赤ちゃん体操の

資格を取得することができました


【おうち教室とこれから】



念願のお教室オープン!

手探りながらおかげさまで

たくさんのママや赤ちゃんと

出逢わせていただきました


ご参加くださったママからは

『自分時間が取れました!』

『わが子と2人で向き合う時間をゆっくりとれました』

『良い思い出になりました』など

嬉しいお声をいただいてきました


その声を糧に

さらに頑張ろう!と思った矢先


教室オープンから3ヶ月で

末っ子ちゃんの保育園入園が決まり

年末に育休あけて復職することになりました


仕事をしながらでペースは落ちましたが


地域でずっとママ達に寄り添うため

細く長くお教室を開いていきたいと

思っています


ベビーマッサージを通じて

赤ちゃんとママの絆をもっと深めたい


安心して通えるコミュニティを作り

ママの不安や孤独感を減らしたい

笑顔のママを増やしたい


1人目育児から思いきり

赤ちゃんとの毎日を楽しんでほしい


そんな想いで活動を続けています

よろしくお願いいたします